スープDELIと『あの忘れえぬ日々』

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この間、ほぼ2年ぶりにスープDELIを食べた。だからなんだ、という話ではあるのだが、小生にとって、このスープDELIは大切な「思い出」の一部なのだ。

まだ小生が高校生、それも受験生だった時である、塾に通っていなかった小生はいつも学校で勉強していた。週末ごとの自習室通いだって欠かすことは無かった。

しかしまぁ、受験勉強というのは、とにもかくにも辛いもので、同じことの繰り返しにやや飽きもする。平日も土日も、変わることなく一心不乱に勉強勉強 ……見よ! あれが早稲田の杜だ! と筆を走らせていた訳なのだが……あの時の小生は

丁度その頃、週末ごとに食べていたのが件の「スープDELI」だ。冬になって、我々週末自習生に与えられた昼食の場としてのブラウジングルームは、寒かった。そこで小生が母に「何か温かいものが食べたい」と言ったところ、熱湯の入った魔法瓶とともに手渡されたのがこれなのだ。

自前のセンター赤本三冊、早稲田の赤本、早稲田の国語、英語、その他参考書諸々に加えて学校で借りパクした(後に返却した)早稲田の赤本一冊に加えて熱湯の入った魔法瓶、総重量は20kgに迫ろうかという登山用リュックを背負って学校と家を往復していたあの頃……いつでもその一番上のところにカサカサと音を立てる容器があった。

湯を注いで、食う。あの頃と同じ味、しかしそれを食う小生にはあの頃の情熱はもうない。早稲田に行くことと、自分の恋の成就とをすり替え、まさに八面六臂の圧倒的成長を見せていたかの日の自分、最終的に二つを秤にかけ、可能性のある方に注力した結果として手に入れたのが今の生活だと言えよう。こんなもののために……と泣きたくもなる。忘れようとしても、忘れられない想い出というのは、辛くもある。

『想い出』という言葉で言うと、この間から再履修している90年代ロボットアニメ『機動戦艦ナデシコ』を思い出す。丁度スープDELIを食べた晩に見たのが第12話「あの『忘れ得ぬ日々』」だった。

見たことのない人が大多数だと思うので、ここで少しあらすじ的なそれを……

この回ではタイトルにもなっている戦艦ナデシコのメインコンピュータ「オモイカネ」のIFF(敵味方識別装置)がおかしくなって友軍に弓引く結果となり、それをデータの削除によって直そうとする連合軍とそれを阻止しようとするナデシコのクルーとの間でちょっとしたいざこざが起こる。

その中でこんな台詞が出てきて、ハッとさせられた。

「それ、大人の理屈ですよね?都合の悪いことは忘れてしまえばいいって理屈…。大人ってズルいな。」

小生はこの記事↓

http://overwhelming-growth.com/同窓会・成人式2daysレポート──実はお持ち帰りし

での云々かんぬんで、なんかもう全部忘れてしまった方が早いのではないかと思っていた。どうやら小生も少しは『大人』になっていたらしい。何もかもが変わり、失われていく中で、ならばいっそのこと……と思うのを至極当然のことのように思っていた。中学生の時にこれを観た時には全く気にならなかったが、やはり変化はある、時の流れはかように残酷だ。都合の悪いことは忘れてしまえばいい……そんな「ズルい」大人の仲間入りなんて本当はしたくはない。

このお話はさらに続き、データの削除を防ぐため、プログラムを可視化した状態で主人公が内部に侵入、コンピュータの自意識の部分に到達したところでこんな会話が交わされる。

「オモイカネの自意識の部分。今のナデシコがナデシコである証拠。自分が自分でありたい証拠。」
「自分が自分でありたい証拠。」
「自分の大切な記憶。忘れたくても忘れられない、大切な思い出。」

アニメごときに……と笑われるかも知れないが、心底動揺した。苦い、つらい、厳しい、楽しい、美しい……たくさんの形容詞に彩られたどんな想い出も今の自分を構成する一つの要素なのだ、忘れてしまえば、今の小生が「小生である証拠」を失ってしまうだろう。きっと、そういうものなのだ。逆に想い出を捨ててまったく別の人間になってしまう方が幸せではあるのだが、それは少々天邪鬼が過ぎる。それをしようとしたから、バーンアウト気味なのだ、なかなか学ぶところの多いアニメだ。

スープDELIに刻まれた淡い想い出……小生が小生である証拠、なのだろうか、こんなことを考えていた。

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