ちんこ主義ってなんだ?~奇才、後藤輝樹の視線~

ちんこ主義ってなんだ?~奇才、後藤輝樹の視線~

ちんこ主義ってなんだ? この問いを皆さんも一度は耳にしたことがあるだろう。

現在行われている都知事選の立候補者にして当選最右翼の『後藤・D・輝樹』氏が四年前の選挙の際、政見放送の中で繰り返した言葉である。

この言葉は我々に多くの疑問を残す結果となった。もしかしたら、我々一人一人が「ちんこ主義ってなんだ? なんなんだ?」と自問自答を繰り返すことを輝樹氏は望んでいたのかもしれない。

あれから四年、100万の借金を抱えながらも、彼は都知事選へと舞い戻ってきた。

そして今回の演説の中でもこの言葉は出てきた、

後藤輝樹は頭がおかしい言われようと、意地が支えの「ちんこ主義」、壁があればちんこで壊す、道が無ければちんこで創る

彼は一体この「ちんこ主義」に何を仮託したのか、今回は奇才後藤輝樹氏の思考とシコシコを辿りたい。

ちんこ主義=フロイト・ラカン的思考?

ちんこ主義、コレを聞いた時、小生の頭に浮かんだのはフロイトの汎性説、並びにラカンの「ファルス」の概念だった。

詳しくは長くなるため、簡単に説明するならば

おちんぽの有無から小児は性差を学び、且つ父親を象徴的な「法」として畏怖する(フロイト)

ちんぽ=ファルスは小児の全能性と結びついているが、小児が象徴的な「父の名」を命令として受け入れる過程で全能性を失う=去勢が発生する(ラカン)

これらの学説はあまりにもちんこ主義過ぎた、もとい男性の性に焦点を当て過ぎたことによって女性、或いはフェミニストの反感を買い、現代では主流から外れている。

これを指して輝樹氏は「ちんこ主義」とし、一種の父権性の復活を訴えているのではないだろうか、こう考えることも出来る。

現代の日本人男性は牙を抜かれ「草食化」し、挙句の果てに「草食系男子」などと揶揄され、或いは自称してヘラヘラ、なよなよしている。そんな姿を嘆いているからこそ、「ちんこ主義」で強い男性の権利の復活を訴えているのではないか、小生はそう考えた。

しかし、どうにもしっくりこない。

後藤輝樹氏は「お前ら、愛してるぜ! 」の言葉を繰り返して神にまで上り詰めた(本人談)傑物である。

男性の権利、強い男性の復活、そんな狭量なことを考えはすまい。

日本という国を愛してやまない彼のことだ。男性、女性に限らず、すべての人間がハッピーになれる、そんな世界を思い描いて孤軍奮闘している彼の求道者にも似た姿からはもっと大きな「意思」を感じる。

そこで小生はこの四年の間に彼自身が語ったことを片っ端から調べてみた。すると、彼自身がこの「ちんこ主義」について言及しているものは割と多かった。

これを紐解いていくことで、ちんこ主義と彼のシコシコ思考の流れが読めるのではないだろうか。

後藤輝樹氏の「ちんこ主義」

輝樹氏は取材に対してこう答えている。

起業したり、東京五輪のために借金をして、いろいろやっている人も倒産する。本当に悲劇です。自殺してもおかしくない状況です。「人が死ななければいい」ということでもない。自殺しなくても、借金があって精神的にボロボロだったら、生きている意味を見出していくのは難しいでしょう。みんなまじめすぎる。暴動が起きてもいいレベルなのに、日本人は去勢されている。そんな日本人を立たせるのが、「Chinko主義」です。

 戦後の日本人は搾取されて、去勢されて、略奪されて、ブロイラーになっている。日本人を覚醒させるために僕は選挙にでているのです。補償金に関して、なんだかんだと言っていますが、そもそも自粛させなければいい。補償金の分は医療や弱者の方に「自粛してください、そのかわり補填します」とお願いする。後は経済をまわしていけばいい。

ニュースサイトで読む: https://biz-journal.jp/2020/06/post_164843_2.html
Copyright © Business Journal All Rights Reserved.

参考https://biz-journal.jp/2020/06/post_164843.html

また、YOUTUBEでもこのように発言している

「心のちんこは立たせてなければならない」

そしてインタビューとほぼ同内容の「ちんこ主義」について述べ、啓蒙している。「お前ら去勢されとんのや、そんなことも分からんのか」と

どうやら、小生はとんでもなく大きな勘違いをしていたらしい。

ちんこそのものを主義として唱えているのではなく、メタファーとして、そしてより大きな「思想」としてのちんこがそこにあった。しかし、一部には冒頭で挙げたような精神分析的な要素とつながりが見えてくる。

「ちんこ主義」ってなんだ?~勃てよ国民!~

これらを勘案した上で、私なりのちんこ主義についての結論を導きたい。

まず、後藤輝樹氏にとっての「ちんこ」とは何か、これは至極簡単だ。ちんこをしごくより容易い。彼は萎えたちんこに戦後萎え切ってしまった日本人の「精神性」を重ねている。そしてそれは戦前戦中の思想教育の中で培われたものではなく、我々が本来有していたはずの「大和魂」のようなものであると考えたほうが良いだろう。

だからここに男女の区別も老いも若きも一切の関係はない、誰もが心の中に強く、太く、硬く、そして長い、一本の魂=ちんこを有しているのだから。

そして、そこにあった全能感とは言わないまでも、日本人の「誇り」としてあった精神性が戦後のアメリカの政策や経済発展の中で失われてしまった=「去勢されてしまった」。このことに対して無自覚であることを嘆いているのだ。

つまり、後藤輝樹氏は屹立する巨大な男根の姿に、立ち上がる日本人としての誇り、そして大いなる「意思」を重ね合わせていたのだ。そしてそれを奮い立たせる、もとい奮い勃たせるために、幾度となく選挙に出馬し、過激なパフォーマンスの中でこれを繰り返すことによって、再三再四我々日本人の中に眠るちんこを目覚めさせようとしていた。

アメリカや中国、ロシアといった大国のヘゲモニズムを「法」や「父の名」のように受け入れ、去勢の中の平穏に安住する日本人に、もう一度、強固な「自我」として「意思」として、ちんこを取り戻す戦いを彼は訴え続けていたのだ。勃たよ国民! というわけである。

これに気づいたとき、小生の頬を一筋の涙が伝っていた。嗚呼、何たることか、世間は彼を狂人とみなし、笑いものにしてきた。かくいう小生もその一人ではなかったのか、深く恥じ入った。彼は道化に身をやつしてこそいるが、奥底では日本を憂い、単身で圧倒的不利な戦いを挑む「憂国の士」であったのだ。

後藤輝樹氏を応援したい

そして同時に、なんとかして彼を支援したい、そう思った。方法はいくつもある、現在販売中のポスターをサイン付きで買う、或いは後藤輝樹氏のオンラインショップでちんこ主義Tシャツ、サコッシュを買う(小生はロードバイクに乗るのでサコッシュのほうがいい)彼のYOUTUBEを出来るだけ多く見て、高評価を付ける。本当は彼を呼んで直に話を聞きたいくらいである。

販売サイトhttps://suzuri.jp/gototeruki

もうひとつの「ちんこ主義」~永遠平和のために~

ここまでは日本の中に対する彼の問題提起としての「ちんこ主義」について述べてきたが、問題は次である。今回の政見放送にて、彼は日本の対外政策というより、政治的な国際交流の場での「ちんこ主義」の在り方を述べていた。

六か国協議は互いにちんこをしごきあうべきであると、そして射精し、その結果として訪れた賢者タイムに話し合うべきであると、ちんこ主義は世界平和にも寄与するのだ。ちんこをしごく、射精する、賢者タイムが来る、虚脱感で優しくなる、平和になる。

なんという素晴らしきチェーンリアクションであろうか、オナ猿でも分かるほど明快でありながら、驚くほど本質をつかんでいる。

後藤輝樹氏は国内に誇りを、活気を取り戻すだけでなく、世界平和にも貢献しようとしているのだ。世界政府初代大統領として包括的射精権を発議するだけはある。

エクスタシーと精神的安寧

彼は今回の政権放送でこうも述べている

「あの世に逝く前に、この世でイきなさい」

現代社会はとかくストレスが多く、心を病みやすい、そしてそれを引き金に自殺する人も多くいる。だが、そこで死んでしまう前に、一回イっておけ、というのが彼の持論だ。

性的絶頂(エクスタシー)はギリシャ語でekstasis(外に立つ)であったように今いる場所、現在の自分、そういったものの「外に立つ」ことを表している。

一度イくことによって、疑似的に冥界行を行うことに目的があると言えるだろう。古代から様々な神話でうたわれてきた英雄たちは皆冥界への旅の中で、多くの物事を感得し、その後の活躍の糧としてきた。

後藤輝樹氏は逝く、前にイく、ことで自らの視座を離れ、自らを縛るくびきから逃れることを推奨しているのだ。幾度も死を考え、そのたびに「生かされてきた」人間ならではの言葉と言えるだろう。

もっと自由になれ、しがらみから逃れろ、こんなメッセージを感じることが出来る。

その先に「悟り」が、「安寧」が存在するのである。

後藤輝樹の視線~社会を、世界を見つめる双眸~

彼の二重術によって得られたパッチリお目目がどこを見つめているのか、今回の考察で多くのことを得られたように思う。

しかし、まだ彼のシコシコの全てが分かったわけではなく、「ちんこ主義」も正解を得られたわけでは断じてない。無論この程度で彼を分かったつもりになってしまっては不敬もいいところである。

彼の双眸が見つめる先にある未来、今この世界の片隅に生きる我々の未来を考えるために、もう一度我々自身が、自身に対して問い続ける必要がある。

「ちんこ主義ってなんだ?」