「無限のリヴァイアス」──「コードギアス」「スクライド」の谷口悟朗が人間の本性を抉り出した傑作──の感想と評価

どうも、せんちゃんです。

今回、ようやく「これは! 」と思えるアニメに出会いました。

1999年放送の「無限のリヴァイアス」です。

「無限のリヴァイアス」作品概要

1999年に放送されたSFアニメで「スクライド」「コードギアス」で有名な谷口悟朗さんの初監督作品です。

脚本には「ガンダム00」などを担当した黒田洋介さん、キャラクターデザインにはガンダムSEEDや蒼穹のファフナーでおなじみ(?)の平井久司さんが参加しています。

あらすじ

2137年に起きた巨大な太陽フレア「ゲドゥルト・フェノメーン」によって発生したプラズマ雲は「ゲドゥルトの海」と呼ばれ人類の宇宙進出を阻む障壁となった。

2225年、温厚でこれといった取り柄のない相葉昴治(あいばこうじ)は自らを環境ごと変えるため、地球の衛星軌道上にある航宙士養成所「リーベ・デルタ」へと向かった。残念なことに幼馴染の鳳仙あおい(ほうせんあおい)も、因縁浅からぬ弟の祐希(ゆうき)も同じ学校に来てしまったため、完全に環境を変えるには至らなかったが、パートナーの尾瀬イクミ(おぜいくみ)やそのガールフレンドである和泉こずえ(いずみこずえ)など、仲間も出来てそれなりに楽しい生活を送っていた。

そんな中、リーベ・デルタがエネルギー補給のために行うゲドゥルトの海への「ダイブ」休暇の最中、事件が発生する──

前情報なしで観てほしい一作

公式サイトのキャラクター紹介から結構ヤバいことを書いてあるので、まだ観てないよ! って人は公式サイトとか前情報とか一切見ないで視聴を開始してください。小生からのお願いです。

ってかもうこの記事すら読まないでほしいです、いやマジで。

谷口悟朗は天才か!?

正直なところ、谷口悟朗さんに関しては「コードギアス」の一発がデカかった人、みたいなイメージでいました。最近の作品は微妙だなって思っています。「ID-0」は物心二元論的な点は良かったものの、肌感覚に合わず……「Revisions」は正直言ってクソアニメでしたし……。

でも、この作品を見てまず思ったのが「天才かよ……」ってこれですね。

初監督作品でここまでのクオリティ出せるってどういうことやねん! と思わず関西弁になってしまうレベルです。

DVD-BOX発売時に出た設定資料集も読みましたが、監督は「コケたらやめるつもりでやっていた」とのことで、納得です。逆に言えば、コケてもやめなくていいから最近ちょっと微妙なんでしょうか、小生的殿堂入りクソアニメ「Revisions」は「M3」と並んで許していません、ブチギレています。

参照:M3~ソノ黒き鋼~https://overwhelming-growth.com/post-1581

人がそんなに死なないのに圧倒的に「鬱アニメ」

このアニメは滅茶苦茶鬱なんですね。

よく鬱アニメとして挙げられる「ぼくらの」とか「蒼穹のファフナー」とかも、確かにあれなんですよ、人はバンバン死ぬし、ネームドのキャラクターが意味わからんところで殺されるし(ファフナーの広登が死んだときは泣いた)

なんですが、正直自分史上最鬱アニメはこの「無限のリヴァイアス」になります。

人はそんなに死にません。

序盤のリーベ・デルタ圧壊とリヴァイアス発進の時に教官と一部生徒、中盤のヴァイア艦戦、ファイナ様が殺した分で少し、って感じです。実際リヴァイアス側のネームドキャラクターはほぼ死にません。なので、人が死んで暗い気持ちになることはないのですが、監督は露悪趣味があるんじゃないかと思うレベルでの狂気具合です。

集団暴行、レイプ、発狂などなど……人間の「本性」をまざまざと見せつけられるのがこの作品です。終盤になればなるほど、主人公は不憫だし、艦内のあれこれは陰惨になっていきます。

面白いんだけど、二度は辛くて観れない、と言われる所以ですね。

小生もこれ観てる間は動悸がおかしくなってて、鬱症状が出てた時のことを思い出してゾッとしてました、そのくらいヤバいです。心臓を握りつぶされるような感覚がすさまじいです。

制作陣の頭がおかしい(誉め言葉)

こんな作品に誰がした、って感じなんですが先述の通り、豪華メンバーでお送りしております。制作時の云々に関してはDVD-BOX化されたときにつくられた「コンプリートアートワークス」に詳しく載ってます(小生もすぐ揃えました)。

もともとサンライズの倉庫の奥の方にあった企画で、これの話が持ち上がった時点で谷口監督はあの「ガサラキ」の副監督を務めていたところです。

参照:あの「ガサラキ」https://overwhelming-growth.com/post-1845

企画が再始動した当初は巷で流行っていた「美少女恋愛モノ」だったそうで、そのまま話が進んでいくのですが、ここで監督&制作陣は企画書を2枚用意していたのです!

代理店を相手にしての企画書では、本編のマスコットキャラクター的な立ち位置の「パット・キャンベル」君を表紙に据えて、タイトルなんか「ぼくらの航宙日誌──リヴァイアス号の冒険──」にしてプレゼンしちゃってるわけです!

とんだ冒険だよ! とツッコミが入りますね。

なにせほんまもんは暴力、レイプ、セックス、ニューハーフとの恋愛、少女監禁、宗教殺人、近親相姦の役満仕様ですからね。九連宝燈なみですよこのアニメ、これをやり切ったあたりが本当にすごいんです。

しかも夕方6時ってNHKが「天才てれびくん」とかやってる時間ですよ、にも関わらずコレってどういうことですか(誉めてる)。

おい嘘だろ……? 平井久司のヒロインが可愛いぞ!? 貞本義行みたいだぁ……(直喩)

ここまで平井久司さんが作画を担当してきた作品はガンダムSEED2作&蒼穹のファフナーシリーズ4作、それからマジェスティックプリンスで観てきましたが、平井作画の弱点が一つ

ヒロインがまったくと言っていいほど可愛く見えない……

いまや「怪演女優」として有名になった松本まりかさんが声を当てていた「蒼穹のファフナー」の遠見真矢も、「ガンダムSEED」のラクスも、フレイも、「銀河機攻隊マジェスティックプリンス」のクギミヤ・ケイも

可愛く見えない!(ブチギレ)

だからこの「無限のリヴァイアス」を観て驚きました

えっ……平井ヒロインが可愛いやん……

最近の公式絵はやっぱり「平井作画」って感じなのですが、本編はやや調整が加わっているのか、作画監督の手癖なのかは定かではありませんが(一説によればガサラキと同様、意図的に「寄せた」とも言われています)「エヴァ」の貞本義行さんっぽい仕上げになってます。

インタビューの中で平井久司さん本人は「あえて目を小さめに書いた」とは言っています。90年代当時市場に氾濫していた萌えアニメに対するアンチテーゼとしての側面が強かったようです。「リヴァイアス」自体は企画段階では学園ラブコメだったのはナイショです。

桑島ヒロインの安定感(個人の感想です)

桑島法子さんが声優を担当したヒロインって安定感あると個人的には思ってるんですけど、どうなんでしょうか? 

「ナデシコ」のユリカから始まって90年代後半から2000年代にかけては「桑島ヒロイン」の時代です。リアルロボットアニメ好きとしてはそんな感じ。

大体桑島ヒロインは死んじゃうと言われていますが、ことに恋愛のアレコレになると安定感が違いますね。マリーンとはきっちりくっつくし(BLUE GENDER)フレイはキラと寝るし、ステラはシンの胸の中で息絶える(SEED/SEED DESTINY)。

だからまぁ、ヒロイン的なのいっぱい出てきても最後に勝つんやろな、とは思ってましたよ、ええ。

でも僕はファイナ・S・篠崎ちゃん!

最終盤こそ嫉妬と宗教関係のあれで狂いましたが

普通にめちゃくちゃグッときませんかね? 

正直一番好きなキャラクターなんですけど、ああいうちょっとサイコで異存傾向のキャラクターはグッときます「ガンパレ」の原素子とかもサイコーです。普通に可愛いし、全然アリです。害の出るような行動をとらなければ都合が非常によろしい。

ヒロインがしていい顔じゃない、心なしか作画が楳図かずおになってます。
 

まぁ害が出ちゃったから昴治くん殺されちゃいそうになってますしね(笑)

でもそこまでは結構普通の女の子だったと思います。

実際ヘタレの昴治に対しても何か出来ることがある、と応援してくれるし、お弁当だって作ってきてくれてるわけです。

小生が昴治の立場だったら100%依存しますね(笑)

今自分に出来ることを、過去を断ち切る、とか言いながらブリッジともリフト艦とも接点を持ちたくないから作業用ポッドにでも乗って外壁の補修でもしてるのがベストです。

ほんで帰って甘やかしてもらう、もう完璧じゃないですか、自分の弱さを受け入れた上で、抗うことなく流される、でも認めてはくれるわけですからね。絶対それがいい、弱い人間の生き方ではあると思いますが。

まあ小生的な結論としては宗教やってる女はいくら可愛くてもダメなんですけど……。

カテ公とタイマンで殴りあえるファイナ様

悪女でクソヒロインとしての格ではどっこいどっこい。

悪名高き「Vガンダム」のカテ公とタイマンで殴りあえる稀有なヒロインです。

最初は真人間のように見えていたところから少しずつヤバくなってきてきて、最終的には主人公を殺そうとするあたりでも引けを取らない活躍ぶりです。

宇宙における戦闘描写の新しい1ページ

このアニメがエポック・メイキングなのはただヤバいアニメだった、ってだけじゃなくて、宇宙空間の戦闘描写の新しい1ページを切り開いたところにもあります。

一般的な「SF」の戦闘は「宇宙戦艦ヤマト」しかり「スターウォーズ」しかり、戦艦が正対してビーム砲をバカスカするのがデフォだったところで、このアニメは「ゲドゥルトの海」を用いて潜水艦的な新しい視覚効果を見出してます。基本的に戦闘で用いられるのが機雷であったり、ミサイルだったり(リヴァイアスには重力フィールドがあるので効かないのですが)とSF的な想像力の中にきっちりリアリティを持ち込んできている。

また、実際の物理法則にある程度基づいた戦闘だったのも非常に好印象でした。会敵までの時間が2時間とか平気であるし、すれ違ってしまったら回頭しても再びやってくるまでまた時間がかかる。

敵ヴァイア艦、青のインプルスの皆さんに盛大な草

敵のヴァイア艦である「青のインプルス」ですが、ヴァイタルガーダーが「回転衝角(ドリル)」というロマン仕様。

「衝角」ってお前、ギリシャ・ローマかよwwwとそこで盛大に草をはやしている場合ではありません。

「全力必中吶喊!」とか「絶対撃滅投擲!」とか艦の皆さんが叫びながら攻撃してくるのがマジでツボに入りました。リヴァイアスよりも艦内の団結感があって楽しそうです。全員もれなく宇宙イカのせいで頭がやられているのですが……。

艦船内部の描写が個人的にツボ

いわゆる「戦艦もの」って戦闘描写に偏りがちで、艦船内部での生活を疎かにしがちなんですが(と、いうか求められてない)「群像劇」として描かれている本作ではきっちりその辺も描写してくれるのがSFオタクとしては嬉しいです。

艦内の自室にいる主人公の一例()

主人公が艦内の自室にいるシーンは描かれがちですけど、戦艦艦内でどのように生活しているのかまで、きっちり描写しているのは今まで観たことのあるヤツだと「機動戦艦ナデシコ」くらいだったので、やっぱり新鮮ですね(個人的に日勤夜勤の交代のシーンが好き)。

艦内外の補修、保全作業に加えて艦内では食事の提供に皿洗い、洗濯物の回収にアイロンがけまでやってますからね。

本作のロボット「ヴァイタル・ガーダー」に唸る

画像は公式サイトから拝借いたしました

唯一「ロボットアニメ」っぽさを出す要素になっている艦の攻撃兼防御兵装である「ヴァイタル・ガーダー」ですが、これがまた良いんです。

一般的なロボットアニメは大体レバーで動くと思います。一応コックピットにはレバーついてますが、操縦はなんとプログラミングです。

プログラミングで動くロボットなんて中々見たことないですし、遠隔操縦なのも久しぶりって感じです。鉄人28号以来の快挙じゃないでしょうか(違ったらコメントください)「パペット・ワイヤー」なるワイヤーでリフト艦と繋がっているというあたりも中々珍しい構成です。ストリングパペット? うっ……頭が……

重力制御可能で脚はあっても丸ごとスラスターの男前、リヴァイアス本体の固定武装であるバルジキャノンを手持ちの武装として使用可能なのもグッドです。

この物語の戦闘が緊迫するのはプログラミングを一回やったらあとは組み合わせてそれで終わりなんじゃなくて、リアルタイムで状況に合わせて組まれる操縦プログラムの「ソリッド」で動くっていう鬼畜仕様にもなります。メインのみんなでダメな部分はサブルームに任せてみんなでカタカタ……。

現職のSEの皆さんなんか見たら卒倒するんじゃないでしょうかコレ。サーバールームでの夜勤を思い出して具合が悪くなりそうです……。

ちなみに早口でキーボードをカタカタする保志総一朗が見られます。「ガンダムSEED」だけじゃありません! ついでに言うと「リヴァイアス」はサイ(白鳥哲)がキラ(保志総一朗)に殴られるアニメでもあります、やめてよね。

考察編

面倒な文学部出身人間なので、評論家ぶってコメントしてみたくなるお年頃なんですよ、ホントに。

ここから文章が「だ」「である」体に切り替わりますので、アナウンスしておきます。

なぜサンライズ最弱の主人公「相葉昴治」は嫌われるのか

結論から申し上げると、恐らく彼が「普通の人」だから。

弟の祐希やパートナーのイクミのように操縦の才能があるわけでもなく、ツヴァイの面々やブルーのように指揮を執ることもできない。だから、と半ばなし崩しに選んだブリッジとリフト艦を「繋ぐ」ことすらままならない。

彼に決定的に不足していたのは「能力」などでは断じてない、彼自身の行動を支えるもの──誇り、コンプレックス、信仰、信念、トラウマ──が存在しないことがすべての原因となっている。

「今、自分に出来ることをする」と考えながらも、自分にはまだ何か出来るはずだ、と考えるたびに、特別な存在に対する未練が頭をもたげてくる。でも、それを成し遂げるまでの力はない。

だから、彼はあの状況下で「強く在れない」存在として描かれる。

そういった意味で、彼は我々と非常に近しい存在であるように感じられる。このアニメを見て、自分がリヴァイアスにいたらどうするだろう、と考えた際、恐らく昴治がそのことがかえって──いや、だからこそ、同族嫌悪のような形で彼のことを好きになれない。

そして、彼が精神的には、それこそ無駄に強かったことも輪をかけて視聴者を苛立たせた。昴治は強かった、だから自分自身の弱さを受け入れ「戦わない強さ」を選択した。嬲られようとも、衝突しようとも、彼は徹底して戦わないことによって自分自身の強さを見出していった。

イクミに「理想主義者」と指弾されてはいたものの、自分で真っ向から戦わない選択というのはある意味では一番難しい選択です。誰を傷つけることなく、ただ自分だけが傷ついていく選択は普通の人間では出来ない。実質リヴァイアス最強のメンタルを持っているのは昴治だ。

だから嫌われる、自分と似ている、というだけでも嫌なのに、自分と違ってさらに強い人間だったらもう大っ嫌いになるわけである。

「スティグマ」の物語としてのリヴァイアス

小生は漫画やらアニメやら映画を見る時には血(血統)と傷(聖痕:スティグマ)に注目している。

※聖痕:スティグマとは……もとは「烙印」を意味していたが、宗教用語に転化していく中で磔にされたキリストの手首/手の傷を指すようになり、奇跡の顕現とされるようになった。物語論的にはキャラクターの持つ身体的/精神的な「傷」を言う。

この「無限のリヴァイアス」はこのスティグマの観点から観ても面白いだろう。

昴治の右肩の傷──主人公としてのスティグマ──

主人公の昴治には物語の開始時点では弟につけられた右肩の傷が存在しているが、これはまだ「機能していない」スティグマであると見なすことが出来る。効力を有するのは弟の祐希に対してだけだ。これは彼が主人公となる可能性を示唆するものでしかない。この時点で傷の持つ意味は小さいのだ。

昴治は抗うことをしないキャラクターのため、とかく「傷」が多い。しょっちゅうボコボコにされているため怪我だらけで彼が五体満足でいるシーンの方が珍しく思えてしまう(カウントするとなんと115回!)。だが、これらの傷はただの傷だ。

参照:昴治が殴られた回数のカウントhttps://www.nicovideo.jp/watch/sm3673161

彼に決定的な「スティグマ」としての傷がつくのは物語の終盤、激昂したイクミに発砲され、最初の傷と同じ右肩に銃創を負った瞬間である。さらにファイナの手によって傷は深まるわけだが、この瞬間、右肩の傷は彼を真の主人公へと押し上げる働きをする。

死に体で沈みゆくリヴァイアスからリフト艦へ向かい、再びイクミと向き合い「俺は今笑いたいんだ」と言えるまでになったのは彼に二重の、そして決定的な傷跡があったからだ。右肩に銃創を負っていない昴治ではイクミに僅かな逡巡を生むことすら出来なかっただろう。これはイクミの発砲を直接的に止めた祐希に関しても、同じことが言える。

半死だから、とか、けが人だから、とか言ったただの傷ではない、リヴァイアスの環境下ではそんなことは大した問題になるわけがない。だが、昴治は確かに彼らを動かすものを持っていた、それが「傷」であり後述する「弱さの受容」である。この傷はイクミにとっては「友人を手にかけた傷」であり、祐希にとっては「昔自分が付けた傷」である。だからあの場面で彼はイクミの前に立つことが可能になった。

そして、弱さを受け入れているからこそ、必死に「強がっている」イクミや祐希を動かすことが出来たのだ。

イクミの傷──姉の死とこずえの傷──

イクミが物語開始時点で負っている傷はかつて肉体関係に至るまで愛しあった姉の自殺という傷だ(公式のキャラクター紹介では「不能者」になっている! こずえに対する消極的姿勢も頷けるわけだ)

ここでも昴治と同じように「二度目の傷」が行動を決定的なものにする。

後述するが、イノセントに自分自身のことを強情に信じてきたこずえは集団暴行(身体的/性的)に遭って抑うつ状態に陥る。

ここでイクミは二度目の傷を負う、髪をおろしたこずえを姉に重ねていく中で、歪んだ愛へと向かって行く。

だが、この二度目の傷は彼を強くしない、イクミは傷と向き合わない人間として描かれているからだ。傷を向き合うべきものとしてとらえるのではなく、

こずえ、あおいの傷──イノセントなものの転落──

物語の開始時から傷が存在しているキャラクターが多いのがこのアニメだが、こずえとあおいは違う、物語の開始時点での彼女たちは「無辜の人」であった。過去のトラウマも、身体的な傷も持たない文字通りの「イノセント」な少女として描かれている。

しかし、物語の終盤、彼女たちのもつそうしたイノセント性は失われてしまう。

こずえは集団暴行を受け、心身ともに傷を負った。彼女が信じた自らの正しさは受け入れられるものではなかった。

またこのことがきっかけであおいの周囲からは人がいなくなり、孤独に打ちひしがれることになり、結果的に精神の安定を失う。

イノセントなものがそのままではいられないリヴァイアスの環境=実社会の普遍的なルールを表しているのはそうなのだが、ここで描かれる傷は結果的に何かを手に入れることに繋がる。

こずえはイクミによる歪んだ、しかし絶対的な庇護を得ることになり、またあおいは昴治とともにいることが出来るようになる。

傷そして弱さの受容が良くも悪くも一つの転機になるわけだ。

一方で、傷を負わない=過去を、弱さを頑なに受け入れようとしない人物として描かれるヒロインとしてのファイナは、何も手に入れることが出来ない。過去を、傷を受け入れないことによって本質的な強さを手に入れることが出来ないことは孤独とも同義になる。

「傷」が象徴する権力と強さ──ブルーからイクミ、そして昴治へ──

また、意図的かどうかは定かではないのだが(小生はこう観たってだけ)キャラクターの「傷」が権力やパワーバランスを象徴しているようにも思える。

作中の統治体制がツヴァイ→ブルー→ツヴァイ→イクミへと変化していく中にもそれが如実に表れている。

ツヴァイの面々はほとんど傷を持っていない。唯一ユイリィだけが「孤児であTった」という傷を持っている、だから二度のツヴァイ政権では彼女が艦長を務めるが、傷の深さでいうとブルーやイクミの方が大きかったため、権限を委譲することになる。

特にブルーは顔に傷がある時点で、すでに主人公格的な風格があるように小生は見ている。圧倒的に他とは違う人間である証として機能した傷だ。実際彼は一種のカリスマであり、彼が統治していたリヴァイアスが最も平和だった。態度はデカくても意外と昴治の意見をキチンと聞いていて、最後トチらなかったら結構いい線行っていたんじゃないかな、とも思わせてくれる。

イクミに関しては先述の通りであり、表面化するタイプの傷ではなかったが、それが表面化した際に作中では最も強権的で過激な独裁体制へと突入した。ここまでくると、傷の深さやその傷が目立つものであるかによってパワーバランスが変化しているように見えてならない。

昴治がイクミに結果として勝利できたのは先述の通りの理由だが、この物語では傷の度合いがますほど、人間的な「強さ」も増していく。裏を返せば、傷を持たないキャラクター、傷を受け入れないキャラクターは一見強そうに見えても、真の強者にはなりえない。

弱さの受容=人間としての強さ

この物語で描かれる「強さ」は様々あるが(フィジカル最強がブルーで、プログラミング最強が祐希で、メンタル最強が昴治だ!)この作品が描いてきた本質的な人間としての強さはとりわけ「弱さ」の受容にあると思う。

それを表しているのが主人公に「なることが出来た」昴治とブリッジから追い出されていながらもリヴァイアス再起動の際は艦長に就任できたルクスン北条の2人だろう。

昴治については前項でかなり述べたので軽く。彼は傷を、弱さを「受け入れる」ことが出来たから最終的に銃を突きつけられていながらも決然とした態度をとることが出来た。自分は弱く、自分の言葉も理想主義に過ぎないことを知っていながら、いや、知っていたからこそ、強権的なイクミに対しても強く出ることが出来た。弱さの受容から「戦わない」という強さを選択するにはメンタル面での強さが必要不可欠である。

ルクスン北条は昴治と並んで作中での成長が目覚ましかった人物である。初期のルクスンは無能オブ無能である。にもかかわらず家柄を鼻にかけてデカい声を出すかなりベタだがそれゆえに不快指数も高いキャラクターとして描かれている。正直小生もさっさと撃たれたりしてくれないかと思っていた。

しかし、ブリッジから追い出され、パットのお守りを任される辺りから、少しずつ成長します。パットのようなクソガキに無神経に言葉で刺されながらも、彼なりに自分よりも弱い存在を庇うため、ボコられながら、パンツを脱がされ「わいせつ物陳列罪は嫌だ~!」と叫びながらも必死に耐え抜いていく。

自分が弱い、ということ、血統や家柄はクソの役にも立たないことに対して自覚的になっていく中で、加速度的に人間としての強度を上げていくのだ。単なるコメディリリーフではなく、各回で少しずつルクスンの成長がみられていくため、応援したくなってしまう。

終盤でEクラスの面々を率いる場面では結果的に有能(?)ぶりと勇敢さを見せてくれたのも、自分には何もないのだ、ということを自覚し、それを底抜けに明るく乗り切っていこうとする姿勢には頭が上がらない。

最終回では再び出航するリヴァイアスの「艦長」に就任したが、これも彼の「人徳(?)」のなせる業だ。

まとめ:アニメ史に残すべき一作

正直とんでもないアニメなのですが、これを残さなくて何をアニメ史に残すのかという感じです。

放送倫理規定のうるさい昨今では絶対放映できないと思いますが、90年代からゼロ年代にかけての「萌え」と「セカイ系」の氾濫、ポストエヴァの呪縛の中で「バトル・ロワイヤル」と並び「サヴァイブ系」への先鞭をつけたこと、並びにきちんと「社会」と向き合った作品であったことは評論家の宇野常寛さんも指摘するところです。

そういっためんどくさい云々を抜きにしても、ドラマとしての完成度がかなり高いです。作画に関しては不安定な部分もありますし、ロボットがグリグリ動くわけでもありませんが、ここまでのクオリティを出せているアニメは珍しいと思います。ぜひ一度観てみてください。