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クリス・マルケル監督作「ラ・ジュテ」の感想と評価──何気にセカイ系的な想像力の塊?──

どうも、圧倒的成長丸です。今日は五限のみなので、またシコシコアップしてました。
今回は小生の大学でのお勉強の話です。

僕の専攻は考古学ですが、それ以外の分野の講義も結構とってます。

論理学(に絡めた批評)、心理学、ポップカルチャー論、哲学、宗教学、まぁおおよそ文学部で出来る人文学的なあれはほとんどとってます。

「文系学部はいらない、特に文学部はしね」っておじさんの最大の敵がこの小生です。うるせぇ! お〇んこ! って感じです。

ジジイどもが屁理屈捏ねやがってよォ!! っていうのがホンネです。まぁいいや。

というわけで本題に入りましょう。

タイトル通りのことを講義でやったわけではもちろんございません。講義の中で学んだことを小生なりに解釈しました。いつもの文章が頭悪いので、偶にはこういうのもありなんでないかと……真面目、というかヲタクっぽい感じですな。否定はしませんが(実際重度のロボットアニメヲタクですし)。そんな小生はまぁ、タイトルにあるような「セカイ系」の作品も多分に嗜好するわけです。この間、宇野常寛さんの批評「ゼロ年代の想像力」を読んで、セカイ系のいけないところをつつかれていたく感心すると同時にプロットやガジェット等については現代でも使えるのではないかと甘い期待を抱いている次第なのですが……

そして今回講義で観て衝撃を受けた映画「ラ・ジュテ(仏語で送迎台)」についてですが、フランスの映画監督であるクリス・マルケル(Chris Marker)による時間や記憶をテーマにした1962年のSF作品です。静止画を用いた「フォトロマン」という独特の表現技法を用いて制作されています。押井守さんなんかにも大きく影響を与えたらしいです。

最近Blu-ray版が出たらしく、先生はそちらを見せてくれました。ナレーション、というか主人公の語りは大塚明夫さんです、豪華。

「セカイ系」の想像力

そもそも「セカイ系」ってのは何ゾ? って話ですが、日本において90年代後半から00年代中期にかけて興隆した漫画、アニメなどの所謂「ヲタク」カルチャーの中でのストーリーテリングの一様式のことです。

初期には「一人語りの激しい」「エヴァっぽい」作品の類いを指していた言葉です。のちに批評家の東浩紀さんらによって『主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性「きみとぼく」の問題が「世界の危機」「この世の終わり」等といった抽象的な大問題に直結する作品群』のことであると定義づけられました。


代表作としては「君の名は」で一躍有名になった新海誠監督の初期の作品である「ほしのこえ」、終盤の大胆な性描写で衝撃を与えた高橋しんさんの「最終兵器彼女」現在カドカワが運営する小説サイト「カクヨム」で掲載も行われている秋山瑞人さんの「イリヤの空、UFOの夏」の三つの作品が挙げられています。僕が好きなのもこの順番です「イリヤの~」に関してはそんなし好きじゃないです。小説は楽しく読ませていただいておりますが。

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「ラ・ジュテ」あらすじ

第三次世界大戦が勃発し、荒廃したパリ、捕虜になった主人公は過去、そして未来への時間旅行によって現代の状況を救おうとする戦勝国側の科学者たちによって航時のための人体実験を繰り返し受けさせられる。

彼はこの実験の最初の「成功例」として過去、そして未来に渡り、現代を救うことを命じられるのだが……そこに主人公の少年時代の忘れられない記憶が重なり……的な作品です。

時間ループ×恋愛という現代でも用いられているカテゴリーのパイオニア、と言えば話が早いかと思います。

個人的な感想とともに

僕自身の感想として、よくよく見ていると、ところどころセットがチープに感じられる部分はありますが、それを含めてそういった日常の事物でしかないものを何か少し違うものと感じさせる「異化」の効果を最大限活用したことによってSF的表現を用いることなく、且つ優れたSF作品としての評価を得ていたのだと感じさせる部分は大きかったです(主人公の人体実験がハンモックの上で行われていたり、収容所は資材置き場だったり……)この辺のチープさが味になった、ということでしょうか、低予算SFの例として先生は「アルファヴィル」なんかも挙げていました(これもこないだ見たので今度記事にしませう)。

この「ラ・ジュテ」ですが、観ている間中、ずっと総毛立ったままにさせられました。フォトロマン、という独特な表現、シンプルながらも重厚な語り、技巧に富んでおり、繊細な作品であることは勿論ながら、鑑賞の前に先生がおっしゃっていたように、「セカイ系」的想像力の先駆形にして完成形であった、ということが私にとって一番衝撃的でした。(勿論作品単体でも素晴らしいです)。

普段小生はスクリーンが良く見える一番前の席に陣取りますが、いやはや、そのおかげでここまでの重厚な映画体験ができるとは……と感動に打ち震えました。
以下、ネタバレを含むヲタク的考察

「セカイ系」的想像力との類似性

第一に「第三次世界大戦後」という場面設定、「ポスト・アポカリプス」の状況と地表には住めない上に敗戦国側は全て「奴隷」というディストピア性を孕んだ社会、ダメ押しに、この世界は過去、未来に干渉することなしには滅んでしまう、という点はまさに「抽象的な大問題」と言えるでしょう。

既に要素がてんこ盛りです。「収容所」等どことなくナチス・ドイツを感じさせる部分もあり、最早抗いようのないレベルでわくわくさせられますね。

次に主人公の置かれている状況。彼はそのたくましい想像力と過去の忘れられない記憶によって時間旅行に適した人材となっています。これはまぁ、お約束ですね。そして、繰り返される人体実験、近代のセカイ系作品においてはこういった過酷な肉体的精神的負担はヒロインが負うことが多く(ほしのこえで機動兵器に乗るのはミカコであり、サイカノで肉体が兵器となるのはちせ、そしてイリヤの~でマンタのパイロットは伊里野だ)それがジェンダー的な問題につながると同時にマチズモによって紡ぎだされたレイプ・ファンタジーに過ぎないとして云々言われることになるのですが……この作品ではキッチリ主人公がこれを負うことになります。

そして主人公が少年時代に空港の送迎台で見かけた女性との「恋愛」もこの物語の中で非常に大きなファクターとなっています。過去へと繰り返し送られていく主人公、次第に地点の精度が高くなっていきます。

主人公はいつも彼女のところへ、そして、二人は逢瀬を重ねます。

「きみとぼく」のようなどこか青春系のかほりのする描写ではありませんが、似た傾向は多分に見られます。

時間を行きつ戻りつする主人公はいきなり彼女の前に現れ、そして、消えていきます。そんな彼を、彼女は一種の自然現象のように捉え、「私の幽霊さん」と呼び、ごく自然なものとして受け入れます。

「セカイ系」特有の「母性による絶対的な肯定」とも曲解出来なくもありませんが、ここでは純粋なラブ・ロマンスとしての側面に注視し、ストーリーを楽しむほうがよいでしょう。

そしてセカイ系において重要な社会や政治その他の中間項を挟むことなく、これらの問題がシームレスに連結する、という点も当てはまります。まったくと言っていいほど社会その他の描写は出てきません。

まぁ、二十五分ほどの短い映画なので仕方がない、と言えばそうなのですが、それに地上は住めない、ということなので地下都市の社会を描くにしてもかえってテンポが悪くなります。

そう言った部分を鑑みても、やはり傑作であることは間違いないでしょう。

まとめ:ラ・ジュテとセカイ界想像力

と、このように小生程度の知識で「ラ・ジュテ」と「セカイ系的想像力」の類似性について、でした。個人的にはそういった類似性抜きにしても短編の映画として秀逸だったと思うので、興味のある方はぜひ一度見て頂きたいです。

古い映画であるからこその良さ、というのが多分に味わえますし、卓越した表現に触れることで何となく文化人になったような気分にも浸れます。そして今日はこの後、「ショーシャンクの空に」でも観に行ってきます、それでは。


一応これをシコシコ書くに当たっては宇野常寛さんの「ゼロ年代の想像力」を一部参考にした部分がございます。
今回ご紹介した映画はこちらです。修復版Blu-rayということで、きれいになってるんじゃないでしょーか、小生が見たのもこっちです。

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