何故「童貞」は恥ずかしいのか──斎藤環『関係する女、所有する男』──

どうも、せんちゃんです。

またもや新書を読んだのでご紹介。精神科医の斎藤環さんの「ジェンダー本」です。全国津々浦々280億のフェミニストの敵「フロイト」の精神分析で著名な方です。

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本題に入る前に「なぜ、これを読んだのか」みたいな部分でちょいとぼやきを

最近のラディカル・フェミニズムはちょっと……

いやー私も女性の権利や女性の幸せは「守られなければならない」とは思っているし、その点においてはフェミニストよりではあるのですが、最近色々なところで物議を醸して、または炎上して、当の女性からも批判される始末になってしまっているラディカル・フェミニズムの潮流が苦手です。平等、対等を謳いながら目指すところは女尊男卑、酷いときには都合の良いところは尊重して貰いながらそうじゃないところは平等にしろと言う、なかなかカオスな状況です。

ジェンダー・センシティブという考え方

あんまり政治的なことを言うと気軽に下ネタの一つも言えなくなるのでこの辺にしておいて、本書でとられている立場について明らかにしておきましょう。

ジェンダー本は立場が大事です、それ如何によって叩かれるか叩かれないかが変わってきますから(笑)本書でとられているのは「ジェンダー・センシティブ」という考え方です。耳慣れない言葉だと思うので、ここで少々解説を加えておきましょう。ジェンダー・フリー(日本では明らかに誤用が蔓延っている。元はジェンダー・イクオリティともいうべきもので、無理矢理何でもかんでも一緒にすればいい、というものでは無い)まで行くとトイレや更衣室も一緒にしなければいけなくなるんじゃないかって感じなのですが(男性諸君は諸手を挙げて喜びますが、女性はそうじゃない)そこまで画一的に処理しなくてもいいじゃない、と柔軟性を持たせたのがこの考え方といってよいでしょう。

ジェンダー・センシティブとは……本書から引用させていただきますと

ジェンダー学者のジェーン・マーティン(女性です)によって提唱されたジェンダー関係の理論の一つ、ジェンダーについて「私たちはジェンダーを、それが重要に関係するときには考慮に入れ、そうでないときは無視するというものです。この考え方をとるとすれば、すべての事柄について、議論する必要が生じてきます。いったい何が重要に関係し、何が関係してこないのかというような内容について、考える必要が出てくるわけです(中略)これはあくまでも分析的な枠組みであって、人々や文化など、それぞれの状況におうじて、具体的なことが、決められればよいのです。」
「この立場は一般的な方針ではあるけれど、個別具体的な事柄への注意を必要とする、ということです。抽象的な方針ではあり得ないのです。常に変わりうるし、常に変わり続けていて、わかり得ないわけです。」

となっており、ジェンダーを固定的な枠組みとしては捉えません、ジェンダーに関わる理論、過程そのものを問題にするメタレベルでの手続きのありようをさしています。これこそ、現代社会に必要とされていることではないでしょうか、なんでもかんでも「それはセクハラ」「それは男性優位だから廃止すべき」「ジェンダーバイアスのかかった○○はいらない」みたいにしてしまうのではなく、一呼吸おいて個別の事例、場面ごとにカテゴリーの重要度を判定し、まずければそれを正す。これが必要なはずです。
最近は「ジェンダーバイアス・バイアス」や「セクハラ・ハラスメント」とでも言うべき偏向した感情論に近いジェンダー論が展開されているので、この分析的な立場を小生は圧倒的に支持したいです。

注:トンデモ男女本とは違います

タイトルが「○○な女、○○な男」なので、巷にはびこるトンデモ男女本(であってるのだろうか)みたいに「女は○○だから○○だ」「男は△△だから△△だ」みたいな本ではありません、むしろそういう本をパロってこういうタイトルにしているわけなので、その辺を取り違えないようにオナシャス。

何故、童貞は「恥ずかしい」のか、男女の価値モデルの差異について

よく言われることですが「童貞」は「恥ずかしい」みたいな風潮ありますよね?

いや、小生は実際童の者ですが(剛の者みたいに言うな)なんか、まぁ引け目を感じる部分が無きにしも非ず……かと言って風俗行くのはなんか違うし……小生の大事なおちんちんにカビでも生えたらたまらんですし……

こういう風潮が何故生まれてくるのか、本書においては「価値観」のモデルの問題が挙げられています。何を持ってステータスとするか、それを考える上で大事なのが男性は「所有」カネ、モノ、地位、車、女、etc……何を「持っているか」が潜在的な価値観のモデルにある訳です。それに対して女性は「関係しているか」が重要なのです。誰と関係しているか、ではなく、その関係性が成立していることに一つの価値を見出すので、男性のように確実にそれを手中におさめ、支配することには興味がない。

その上で、男性にとって一種究極の「所有」にあたると考えられるのは「性的交合」のその瞬間の射精にある訳です。放たれた精液は「快楽」の所有であると同時に、一つの所有の「刻印」として機能するわけです(あくまでも概念的な話です、マジでこんなこと考えてる奴は正直ドン引きです)。

だから、性的交合をしていない、ということは男性の価値基準における「所有」を果たしていないことになり、結果的に「所有」しているもので価値を決める男性の精神的な構造において皆が持っているものを「持っていない」から『恥ずかしい』という論理が成立し、結果的に「童貞は恥ずかしい」ということになるのです。

結論:みんなで読もう!

ジェンダー云々がやかましいこの時代、フェミニズムからは悪とされている「精神分析」からのアプローチ、中々面白いです。ジェンダー・センシティブの考え方の導入によってアプローチの手法は適切です。ジェンダーの話なので仕方ないっちゃ仕方ないですが、二項にまとまったのは残念でもあり、的確でもある。ま、何はともあれみんなで読もう!って感じです。
個人的にはこれもオススメ『戦闘美少女の精神分析』ヘンリー・ダーガーというアウトサイダー・アーティストの事例を元にオタクのペニス幻想とも言うべき「ファリック・マザー(ちんこの生えた母親)」をタームに理論が展開されます。

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