講義で紹介されていて面白そうだったので、行き帰りの時間を使ってサクッと読んでみました(往復で四時間もあれば色々できます、ほぼほぼ始発駅からの「座って通学」なので無駄にしたくありません)
元来小生は『エロ』や『性欲』に関する云々かんぬんを哲学や心理学、果ては宗教まで絡めて考察するのが大好きでした。特に高三の時は熱心に調べものをして、放課後、受験勉強に疲れて休憩をとっている仲間に疲労して「お前は天才か! 」と言われるのを楽しみにしていたような男です、馬鹿です。
そんな私の直近(と言っても大分前ですが)の研究テーマは「何故、男性はおっぱいが好きなのか」というものでした。
小生は考古学を専攻しておりますゆえ、そこから得られた先史時代における精神的、性的文化についての知識も交えて、女神像、地母神像のディテールを端緒に論を展開しようとしていたのですが……
や、やられた……バタイユはやはり「奇才」の名に一切恥じぬところなき学者である……とまぁ、ギャフン(死語)と言わされました。
勿論、この本は小生がごときクソ学生の趣味の研究等とは一線を画しております。小生は「おっぱい」などという至極局地的な考察に留まらざるを得ませんでしたが(当たり前のことです)バタイユは「エロス=エロティシズム」についての包括的な考察を行っております。
正直な感想
やはり、読みづらい。
小生はそこそこ読解力に自信がありますが、いやはや、今回は難しかった。
趣旨は汲み取れます。
しかし、より深い部分に踏み込もうとすると、この本が、そして文体が持っている名状しがたい「圧」のようなものに阻まれてしまいます。
その圧はあたかも壁のように私の前に立ちはだかり、嗚呼、これが小生が如き凡夫と奇才、天才と呼ばれる人種との圧倒的なまでの隔絶なのだ、と実感させられます。同時に「は? 意味わからんわ何言うとんの君? 」となる部分もなきにしもあらずでした、努力不足ですね。
本書の構成
一部 始まり──エロスの誕生
古代から連綿と続くエロスの系譜を「小さな死」という極めて独特な観点から克明に描き出していきます。
「小さな死」というこの言葉、やはり奇才は言語感覚すら違う、自分もこういった言語に対する感覚を持ちたい、と強く思わざるを得ません。
洞穴壁画に描かれた男根を立てた男たち(さまざまな場所に同様の構図が見られます)の様子、そしてネアンデルタール人(書かれた年代的にまだまだお毛毛の生えたお猿さんの友達のイメージでした、近年ではやはり我々ホモサピ連中に近縁な種であったことが示唆されています)たちの性的な営み……そして「労働」という一つのタームを軸にした一考察。
内容は詳細に記述しようとすると時間がかかるし、どれ程いるか分からないこのクソブログを読んでくださっている数少ない皆様の読書の楽しみを奪うことになりかねないのでこの辺で。
まとめとして、原初の世界において「エロス」とは日常的感覚、そして、呪術、本能と様々なものと結びつけられていた。
そして、同時に「死の感覚」と結び付いたものであった。
それは誕生という相反する概念によって共示的、逆説的にたち現れてくる「小さな死」の存在そのものであるとされた。
これが本書を通底するテーマとして度々用いられる。
第二部 終わり~古代から現代へ~
先史の世界から、古代に至るまでに始まった「戦争」そしてそれに関連しての「奴隷制」「売春」と「エロス」の問題、ギリシア世界の中で行われてきたデュオニュソス信仰に関する諸々の事象からキリスト教世界の中での「エロス」そしてそういった宗教的断罪等から少しずつ離れていった近代的感覚の中のエロス、芸術と結び付いたエロス(マニエリスム)そしてサディズムなど、エロス研究者としては見逃せない題材がいっぱい。
最後の方に出てくる中国人の処刑の写真はトラウマもの、一読の際はくれぐれも気をつけて頂きたい部分の一つです。
時系列を追って語られる西欧世界におけるエロスの興亡、美しい絵画の中にさえ取り込まれたセクシズム、数々の図像の中に顕在化を果たす「エロス」古代多神教的世界の中では認められていたものが一神教的な世界では不浄や堕落のモデルとして描かれ、その後、再びの興隆を迎える、このプロセスはエロスの復活、再考、胚胎からの再びの誕生、そのどれとでも捉えられる。そして……がないまま、割にあっさりした結末でした。
おわりに
感想と備忘録のようになってしまいましたが、こんな感じです。
プラトンの著作の類いの中にあるソクラテスの対話篇を読んでいるかの如くに難解なのでオヌヌメはしませんが、エロスについてスノッブでありたい、と切望される諸兄におかれましては、是非とも一読願いたい。
そしてエロスノッビーとしての新たな地平を開く上での端緒として頂きたいです。小生としては、西洋に対応しての東洋的、というよか日本的なエロスの辿ってきた遍歴を研究してみたくなった次第です、どうせ夏は暇なのです、少しくらい勉強したってバチなんか当たりゃしません。
小生と安部公房『箱男』──このへんないきものはまだ日本にいるのです。たぶん。──
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